「鬼滅の刃」の時代は?大正時代である理由

『鬼滅の刃』は、吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)による漫画作品であり、アニメ化や映画化もされ、国内外で大きな人気を博しています。作品は、鬼に家族を殺された少年・竈門炭治郎(かまど たんじろう)が鬼殺隊に入り、鬼との壮絶な戦いを繰り広げるというストーリーですが、その舞台となる「時代」に注目したことはあるでしょうか?
物語の中では、和装と洋装が混在し、電車や電話といった近代的な技術も登場します。一方で、刀を使った戦闘や、武士道に通じる価値観も描かれています。こうした時代背景が、作品全体の雰囲気やキャラクターの言動、さらには鬼という存在の神秘性にも深く影響を与えています。
本記事では、『鬼滅の刃』の物語が「いつ」の話なのか、具体的に何年頃の大正時代が舞台なのか、そしてなぜ大正時代と推測できるのかについて、作中の描写や歴史的背景をもとに詳しく解説していきます。
目次
鬼滅の刃の時代は?

『鬼滅の刃』の物語は、「大正時代」を舞台にしていることが、公式設定や作中の描写から明らかになっています。大正時代とは、日本の歴史の中でも比較的短く、1912年(大正元年)から1926年(大正15年/昭和元年)までの15年間です。
この時代は、明治維新を経て急速に近代化が進んだ日本社会がさらに発展し、西洋の文化や技術が本格的に根づいていく過渡期にあたります。和装と洋装が入り混じり、木造家屋が立ち並ぶ町に電話や電灯が普及し始めた様子が、まさに『鬼滅の刃』の世界観そのものです。
実際に、炭治郎が東京を訪れた際に目を見張るシーンでは、電車が走り、洋装の人々が行き交い、西洋風の建物が立ち並んでいます。このような描写は、明治後期〜大正初期にかけての都市部の様子とよく一致しています。
また、鬼殺隊の制服も、大正時代に実在した軍服や学生服に近いデザインとなっており、これも時代設定を裏付ける要素の一つです。
鬼滅の刃の時代は大正時代の何年から何年まで?
『鬼滅の刃』の舞台が「大正時代」であることは明らかですが、ではその中でも何年頃の話なのでしょうか?大正時代は1912年から1926年までの15年間あります。その中で『鬼滅の刃』の物語が始まる具体的な時期については、公式に明示されていません。しかし、いくつかのヒントから推測が可能です。
たとえば、物語冒頭で炭治郎が山から街へ降りて行商をしている場面では、町にはまだ電車が走っておらず、商人たちの服装も和服が中心です。一方で、東京を訪れたシーンでは電車や洋装の人々、カフェのような西洋文化の影響が強く現れており、これは大正中期以降の都市部の様子と一致します。
また、鬼殺隊の活動が描かれる中で、登場人物の一部が「西洋風の眼鏡」や「機械仕掛けの義手」など、当時としては最新技術に触れていることから、物語の中盤から後半にかけては1915年(大正4年)以降の可能性が高いと考えられます。
そのため、多くのファンや研究者の間では、『鬼滅の刃』の物語はおおよそ大正3年(1914年)頃から大正10年(1921年)頃までの期間が舞台ではないかと推測されています。
この推測をもとに、次章では「なぜその時期なのか?」を、作中の具体的な描写からさらに深く検討していきます。
鬼滅の刃の時代が大正時代である理由
『鬼滅の刃』の物語が大正時代であるとされる理由は、作中に現れるさまざまな描写から読み取ることができます。ここではその代表的な要素をいくつか取り上げて解説します。
①和洋折衷の文化
物語の世界では、和装の着物姿の人物が多く登場する一方で、都市部では洋装の人々や西洋風の建物が普通に見られます。これは、明治期から続いた西洋化の流れが庶民にまで浸透してきた大正時代の象徴的な風景です。
例えば、炭治郎が東京(浅草)を訪れたとき、電灯が灯る街、走る電車、そして人々の洋服に圧倒される場面があります。この「文明開化」の雰囲気は、まさに大正時代ならではのものです。
②鬼殺隊の装備と衣装
鬼殺隊の隊服は詰襟の制服スタイルで、これは大正期に実際に使われていた軍服や学生服のデザインに近いものです。また、義手を装着したキャラクターや、科学技術を駆使した武器なども登場し、大正時代における技術革新の影響をうかがわせます。
③通信手段と交通
作中では、カラスを使った連絡方法と共に、電報や鉄道といった近代的なインフラも登場します。これは、通信や交通手段が近代化した時代背景を反映しており、大正時代の特徴の一つです。
④「手鬼」の台詞による考察
物語の時代背景を読み解く上で、非常に重要なヒントとなるのが、炭治郎が最終選別で出会う鬼、「手鬼」の発言です。
この手鬼は、自分が長年にわたり藤襲山(ふじかさねやま)に封じ込められていたことに強い恨みを抱いています。彼が登場するシーンでは、突然「年号が変わっている!」と驚愕の声を上げ、時代の流れに強い違和感を示しています。その後、手鬼は狐面を付けた少年(錆兎)に対し、「今は何年だ?」と尋ね、返答を受けて「今は大正時代だ」と認識します。つまり、彼は明治時代の途中ですでに捕らえられていたことが明らかになります。
さらに、手鬼は自らが捕まった時期についても語っており、その当時はまだ鱗滝左近次が鬼狩り(鬼殺隊)として活動していた時期で、「慶応の頃だった」と述べています。慶応というのは、江戸時代末期の元号であり、1865年から1868年のわずか4年間を指します。これにより、手鬼が封印されたのは、幕末期の慶応年間であることがわかります。
そして、彼はその後47年間も藤襲山に幽閉されていたと語っています。単純にこの年数を加算すると、物語が始まる時点は1912年〜1915年頃に相当することになります。この範囲は、ちょうど大正時代の初期(大正元年から大正4年)にあたるため、物語の始まりを特定する上で非常に強力な根拠となります。
つまり、炭治郎と手鬼の戦いが起こるのは、まさに文明と伝統が交錯する大正初期。その時代背景が作品の空気感や価値観にもしっかりと根付いているのです。
よくある質問
ここでは、『鬼滅の刃』の時代設定について、読者や視聴者からよく寄せられる疑問とその回答をまとめます。
Q1. 『鬼滅の刃』の時代は明治ではなく大正なのですか?
A: はい、作中では「今は大正時代だ」と明言される場面があり、明治時代の後の時代である大正が舞台であることが明確になっています。また、手鬼の発言や作中の社会描写も大正時代に一致しています。
Q2. なぜ大正時代を舞台にしたのでしょうか?
A: 大正時代は、明治時代の伝統と昭和の近代化のはざまにある、非常にユニークな時代です。刀と近代技術が共存するこの時代は、和の美しさと近代の不安定さを同時に描くことができるため、『鬼滅の刃』のような作品にとって非常に相性の良い時代設定です。
Q3. 作中の技術や服装は本当に大正時代のものですか?
A: 多くの描写は実際の大正時代に存在していたものをモデルにしています。鬼殺隊の制服は当時の学生服や軍服に近く、電車や電話、カフェなどの近代的インフラもこの時代に普及し始めました。完全な歴史考証ではありませんが、雰囲気や技術レベルは大正時代の中頃と整合性があります。
Q4. 鬼という存在が現代まで残っていないのはなぜ?
A: これは作中でも暗に示されていますが、鬼殺隊が一般社会から存在を隠して活動していたため、鬼の存在はあくまで「昔話」や「伝説」として記憶され、現代には残らなかったという設定です。また、物語終盤で鬼の源である無惨が倒されたことにより、鬼という存在自体が消滅したことも要因の一つです。
まとめ
『鬼滅の刃』は、単なるファンタジー作品ではなく、大正時代という特定の歴史背景を持った物語です。和と洋が交差し、近代化が進みながらも、伝統的な価値観が色濃く残るこの時代は、鬼と鬼狩りという存在が共存するのに最も自然な舞台といえます。
手鬼の台詞や街の風景、服装、技術レベルなど、あらゆる描写が大正初期、特に1912年〜1915年ごろを示しており、作品全体の世界観に一貫性を与えています。
時代背景を知ることで、キャラクターの行動や社会の在り方がより深く理解でき、『鬼滅の刃』を一層楽しむ手助けになるでしょう。